神札・お守りを扱う授与所は、午前9時頃から午後4時30分頃まで
毎日授与しております。
当神社の床下柱の墨書に「宝暦4年(1754年) 甲戌年8月吉日、神主 荒井飛騨守、大願主 阿久津半之助昌保」とあり、建築様式・手法からも江戸時代中期の特徴が分からます。 現在の本殿は、昭和53年7月7日県指定文化財に指定されました。本殿は江戸時代の建築と推定される記載があり、また建築技術から宝暦4年頃の建造物とされています。 一間社流造厚板葺きで、直線の屋根面を途中で折りながら向拝に向かって延ばしているのは大変珍しい形状です。 本殿、幣殿、拝殿は、これまでに(事柄)であるが、3回の修復、増築をし今の原状におたっています。
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神門(平成2年11月22日)建立 大嘗祭並びに創祀1100年祭を迎え神門・狛犬が奉納されました。 狛犬の由来は、単に邪を退け神前守護の意味を持つとされています。 当神社の狛犬は、近年遠方からの参拝者が急増し、関東一円、九州地方からも足を運ばれる程の素晴らしい狛犬です。 |
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《御神門と狛犬の建立について》記念碑文より |
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平成2年 安住神社鎮座壱阡百年を迎え さらに大嘗祭の奉祝を機にこれを記念して将来当社神道に慶すべく氏子・崇敬者の阿久津惠一氏が神門並びにブロンズ金箔狛犬一対を寄進されました。 平成2年11月22日
<北村西望先生について> |
創祀1090年祭記念事業といたしまして、朱塗りの『明神鳥居』を建立しました。(昭和57年8月) 『明神鳥居』としては関東一を誇る大鳥居で当神社のシンボルとなっています。 高さ12メートル、笠木の幅10メートル |
灯篭・寛延4年(1751年)東京都上野に鎮座します。 「寛永寺・有徳院殿」八代将軍 徳川吉宗に奥州(現在の青森県)弘前城主 岩松 藤原信寧が奉納されました。詳細は不明であるが、戦後寛永寺が何らかの理由でこの灯篭を手放し、昭和25年に神奈川県藤沢市の宮尾家に払い下げになりました。 昭和57年に宮尾家から当社に奉納されました。 |
町指定文化財として指定されている「大々神楽」の様子です。 現在は行われていません。 |
結納や結婚披露宴、初宮参りの祝宴、その他各種会合のお席としてご利用頂けます。 |